Akiapola'au

読んだ本のメモ ネタバレは自衛してください

2024/6

2024/6

6/2

森孝一『宗教からよむ「アメリカ」』(講談社選書メチエ)

多様性の時代にかえって宗教化される「アメリカ」という抽象概念についての話。アメリカ人はなんで世界の警察なんていうわけわからん役割に執着できるのか? てっきりアメリカのキリスト教とかの話をするのかと思っていたら「アメリカ教(=アメリカの見えざる宗教)」の話なのか。
ところでアメリカで政教分離と信教の自由はどういう関係になっているのか。信教の自由があるなら政教はとうぜんに分離されているのか。そんなことはない。アメリカ人は政治は宗教に基づいていないといけないと考えている。その宗教がなにであってもよいというだけだ。政教分離というのは Church と State の分離であって、Religion と State の分離ではない。特定の教会や宗派に政治が便宜を図ることがあってはならないが、特定の教会や宗教がその信ずるところをもって政治に働きかけるのは妨げられないのである。
アメリカはピューリタンの国である。もともとが既存の宗派とうまくやっていけなくてアメリカに来た人たちだから、特定の宗派に政治を牛耳られるのは困る。さりとて宗教が政治に参与できないのは困る。それでこのようなかたちの政教分離ができあがったというわけ。そしてかれらが政治の基礎にしている宗教が何かというと、プライベートに信仰しているキリスト教の個々の宗派……でもあるが、それよりも「アメリカの見えざる宗教」とでも呼ぶべきもの*1があるというのが主張。
アメリカの見えざる宗教においてはワシントン D.C. が聖地であり、独立宣言と合衆国憲法が聖典だ。ワシントン、ジェファソン、リンカーンが「預言者」、「聖典執筆者」、「殉教者」として聖人になる。
二章ではこのアメリカの見えざる宗教と個々の宗教のかかわりについて。カトリックもモルモン教もこの見えざる宗教と融和共存を選んだが、アーミッシュや人民寺院のように対決を選んだ宗教もある。モルモン教はさいしょ弾圧を受け急激に右傾化し(、成功し)た、アーミッシュは徹底的に衝突を回避した。人民寺院やブランチ・ダビディアンはじっさいに治安を騒擾したというよりアメリカの見えざる宗教とは別種の価値観を築こうとしたことで対立してしまった。
三章はファンダメンタリストについて。進化論論争とか海の向こうから見てると狂ってるんちゃうんかという気が素朴にしてしまうが、ファンダメンタリストたちが争ってるのは進化論のもっともらしさそのものではないのだな。でも患難前携挙説は……狂ってるぜ。
アメリカはうしろを向いても国家をまとめあげる人種や歴史のファンタジーを持たないから常に未来に立脚点を持たなければならないが、足元では生々しい分断がいつでも広がっている。これは前世紀末に書かれた本だが、そのあとアメリカが分断をどうにかすることができたかといわれればお察しの通りだ。

6/2

平子達也、五十嵐陽介、トマ・ペラール『日本語・琉球諸語による 歴史比較言語学』(岩波書店)

高いけどいい本だ。比較言語学の本はだいたい印欧語をモデルに書かれている(というか比較言語学という学問自体が印欧語の研究と歴史的に強く結びついている)が、比較の手法自体は印欧語以外にも当然適用することができる。日本人になじみのある日本語・琉球諸語でその概説をやりますよという本。
日本語の研究史においてはまとまった資料が得られる最古の時代である記紀の時代を重要視しすぎて、琉球諸語もそこから派生したように考えたり、記紀の日本語がすでにそれ以前の言語から変化していることを意識しなかったり、そういった陥穽があったようだ。
上代特殊仮名遣いと琉球諸語を比較することで日琉祖語の母音体系を推測することができたりしていろいろ面白い。東国方言や八丈語のことももっと知りたいぜ。

6/3

上総朋大『カナクのキセキ』(富士見ファンタジア文庫)

ドラクエ的ファンタジー世界はちょっと既視感が強すぎるが石碑の文章が予言的すぎることにユーリエが気付いてから SF ミステリになるのがおもろい。一巻で相思相愛になるって早いねとか思ってたら……。二巻以降どうなるんだろう。泣けたかといわれると続刊でなんかまだいろいろあるんだろというのであんまりだったが。

6/4

矢幡洋『パーソナリティ障害』(講談社選書メチエ)

DSM-IV-TR 成立までのパーソナリティ障害研究史を概観するパートと各パーソナリティ障害の概説パートの二部構成。歴史パートはセオドア・ミロンの見方に従って PD 研究を「精神分析派と記述的精神医学*2という二大潮流の闘争と妥協の歴史」と捉える。
テオフラストス(古すぎんだろ!)にはじまりピネル、エスキロールによって揺籃期を迎えた記述的精神医学の完成度を一気に高めたのがクレペリン。これら初期の研究では(かれらが実地に患者と触れ合っていたということもあって)犯罪を犯しやすい傾向にある反社会性パーソナリティに研究の重点が置かれていたが、徐々に研究の拠点は精神病院から大学に移行して、しだいにほかのパーソナリティ障害についても研究されるようになった。
こうしてドイツで花開いた記述的精神医学はしかしナチスの精神障害者断種政策を想起させるとしてタブー視され学灯が途絶えてしまう。もちろんヤスパースもクレッチマーもシュナイダーもナチに協力なんてしてなかったのだが。いっぽう海の向こうアメリカではフロイト派が覇を唱え始めていた。なんやかやあってカーンバーグに結実する精神分析派理論の成果は 70 年代の流行りの対象だった境界性パーソナリティ障害を論理的に説明しもてはやされたのだが……。
50 年代ごろから薬が精神障害の治療に役立つことがわかってくる。いっぽう精神分析は治療の役にはあまり立っていなかった。薬物治療が一般的になるにつれ、その治療の対象=患者をどう定義するかがまた問題になってきた。ここで新クレペリン主義者が活躍するのだが、アメリカでは黙殺されてきたはずのクレペリン主義者はどう復活したのか。当時の精神医学界は同性愛を疾病とみなす旧来の勢力と健全な精神生活を送っている同性愛者も多いとしてこれを批難する勢力で争っていたが、この争いを利用してメルヴィン・サブシンが DSM 改訂を記述的精神医学に有利なように進めたというところらしい。
サブシンが改訂の作業委員会に選んだのが前述のミロンだった。ミロンは全州でもどんぞこ(48 州中 47 位)の評価を受けていたペンシルバニア州の、州内でもどんぞこ(22 / 22)の評価を受けていた病院を視察に行った際あまりにもその状況がひどかったので改革に乗り出す(かれの努力の結果としてペンシルバニア州は 48 州中 3 位にまで順位を上げる)などしていた経歴の持ち主。なろう系精神医学者だ。
アメリカ精神医学界では精神分析派がブイブイいわせていたと言ったが、ミズーリはセントルイスのワシントン大学だけは操作主義的精神医学が孤塁を保っていた。そして作業委員会が改訂の指針としたのはこのワシントン大学流の新クレペリン主義だった。
ミロンはカーンバーグに対抗するにはあまりにも無名だったが、「すぐにその博識ぶりで「疾患辞典」というあだ名を頂戴」することになる。なろう系精神医学者だ。おしまいの病院を十年ひたすら改革し続けてたらアメリカ一の精神医学の権威になってました。えっまた俺なんかやっちゃいました?
こうして精神分析派の手を離れ改訂された DSM は世界中でバカ売れし、脳科学派がアメリカ精神医学界の主導権を握るようになる。
というかんじで物語仕立てなのでめちゃくちゃ読みやすいし面白い。
二部からはパーソナリティ障害の十四類型をじっさいに解説する。「喜び―苦痛」「能動―受動」「自己―他者」の三軸で分類される八パターンのパーソナリティがどんな状況でも硬直化して発現する柔軟性のなさがパーソナリティ障害で、この八パターンに収まらないものとして統合失調症型パーソナリティ障害、境界性パーソナリティ障害などなどが加わる。
事例紹介は治療実践者としての著者の観察が含まれている*3
ところで本書が書かれたのは 2008 年とじゃっかん古めなので DSM もいまや DSM-5 で、分類もいろいろ変わっていれば説明も変わってるだろう。なんかこのへんについてはほかのも読んだ方がいいかもな。
心理学のほうでは(主に正常な/病的でない範疇の)性格が尺度(ビッグファイブ開放性とか協調性のやつです)で表わされるのにたいして精神医学が病的性格を扱うのはカテゴリカルなやりかたなんだな(つまり病的性格も尺度の極端なものとして扱えるんじゃないか)とは思っていたがディメンション派もカテゴリー派もどちらも長短あるらしい。カテゴリー派でいえば、分類は臨床的に役に立つけれども、演技性パーソナリティ障害がもっとも強く表れているが自己愛性パーソナリティ障害の傾向も持っていて……みたいにひとつのカテゴリーにきれいに当てはまることはむしろ少ないみたいな弱点がある。ディメンション派には各派が用いる尺度が一致していないとかそういった弱点が。
また、パーソナリティ障害には遺伝性があったりして生物学的に実体があるといえそうなものから先進国からしか報告されない、文化的な産物といえそうなものまであるらしいとかいろいろ。精神疾患が自然種かどうかみたいな話は興味あるな。ってあたし数年前からいってるんだから調べればいいのにね……。

6/4

エヴァン・オズノス『ワイルドランド 上』(白水社)

中国で特派員をやったりしてから久しぶりに戻ったアメリカの腐敗っぷりに驚いたジャーナリストの著者がさいきんのこの国の分断ヤバすぎてウケるというのを豊富な事例で描き出す。ヘッジファンドは儲けすぎだし政治家は献金を受けすぎ、ミッチ・マコネルの事例とかみてるともう尾張屋猫の国というかんじになってしまう(日本もひとのことをいえたもんではないが)。拝金主義、職業倫理の腐敗、人種差別、ドラッグ依存、治安の悪化、広がる格差、格差の再生産! わが国においても始まりつつあるねちゅって腕組みしながら読んでる。
アメリカ文学でいちばん楽しいパートであるところの崩壊した家庭をインスタントに摂取できてうれしいが、具体的な話が多すぎといえばそうかも。けっきょくプアホワイトがどう共和党支持になだれ込んでいくかみたいな話はたぶん下巻でやるんでしょう。

6/5

逢縁奇演『運命の人は、嫁の妹でした。』(電撃文庫)

起承転結やテーマ性がしっかりあって読ませる!系ではなくて数十ページごとに珍奇な新要素をぶっこんで興味を引き続ける系なので小説としてお上品かといわれるとかならずしもそんなことはないのだがでもこーゆーのやっぱりおもしろいからずるいよね。あたしたちは……メフィスト賞育ちだから……。
ヒロイン視点多めで主人公のいいところを書いているのでラブコメ特有のなんでこんなやつが好かれるねん問題は回避しているが、にしても主人公が怪我してでも人のためになろうとするお人好しの一本槍で通してくるのでちょっと強引さに笑ってしまう。

6/5

逢縁奇演『運命の人は、嫁の妹でした。2』(電撃文庫)

宇宙レースの可能世界の話が面白すぎる。しかし風呂敷を広げるだけ広げてどうなるのか見当もついてない状態だがここで打ち切りなんか? なんか悲しいね……。堂々寝取り宣言女子中学生のご活躍をもっと読みたかった。

6/6

清野静『さよなら、サイキック 恋と重力のロンド』(角川スニーカー文庫)

時載りリンネがあたしは大好きでぇ……。なんか期待にそぐわなかったらみたいな恐怖でさよならサイキックは長いこと読んでいなかったのだが……。
読んでよかった泣 めちゃおもしろい泣
リンネがわりとジュヴナイル寄りだったのに対してこっちはちょっと対象年齢層が上がってるかんじ。

「ね、ログにひとつクイズ出すね」
「うん?」
「花火、って英語でなんて言うか知ってる?」
「花火? ええと……freworks かな?」
 ぼくはかろうじて海馬の端っこに引っかかっていた記憶を釣り上げて言った。
「正解。じゃあ、waterworks はなんでしょう?」
「waterworks……? え、ええと……うーん……上水道とか……?」
「涙腺よ」

ここノーベル文学賞すぎる泣
異能ものだけどめんどくさいバトル展開にならないでラブコメに徹してるのもうれしい。

6/6

清野静『さよなら、サイキック 2 愛と解放の地図』(角川スニーカー文庫)

す~ぐ新ヒロインを投入する~。ロンドの存在感が……
一巻ではロンドと軍乃それぞれの魅力が鮮やかに描かれててはちゃめちゃによかったのだが新ヒロインが出てくるわロンドが跡目争いに参戦するうんぬんの話が長いわで話の焦点がどっかいってしまった。けっきょく恋をすると超能力が失われるはずなのにログがぜんぜん超能力使えるのはなぜ?みたいな謎を引っ張りつつ最後やっぱり超能力を失ってしまうあたりはよくわからんし、ロンドにも軍乃にも好き好きいってて三角関係の消化の仕方もどうなってるのかよくわからない。完結はしているがはっきりいって完結と打ち切りの中間くらいなのでこうなってしまったのだろうというのはわかるのだが、う~ん。物足りないよ。
ところで、清野静の小説に出てくる女の子たちは基本すごいポジティブなのだが、小説にポジティブな人間を出すのってとても難しい。原因はいろいろ考えられる。小説なんて書いてる人間がだいたい根暗なこと、小説なんて読んでる人間がだいたい根暗なこと、ポジティブさは内省的、批判的、言語的な思考ではなく、世界に対する態度であること、ドラマが本質的にマイナスからプラスへの転換で受け手に快を与える構造を持ちがちなことから、出発点において主人公はマイナスであることが多いこと、ネガティブさは人間の性質であるのに対し、ポジティブであることはポジティブな世界認識に加えて理解のある周囲の人物や一定程度の幸運などを必要とする現象であることなどが挙げられる。というわけでポジティブな人間を説得力を持って描くのは難しく、だいたいただのアホになってしまう。清野静のすごいところはネガティブな人間にも理解可能な実質を伴ったものとしてポジティブな人格を書けるところで、これはなかなかただごとではない。これがどのように実現されているのかわかったらおれもえらい作家になれるのだが、わからないのでなれない。

6/7

吉見俊哉『「声」の資本主義 電話・ラジオ・蓄音機の社会史』(河出文庫)

初期の音声メディアの発展や人口への膾炙を丹念に描いてるのはとてもよいのだがそっからいきなり論証なしにででんとカッチョイイがよく意味の分からないまとめめいた評語が出てくるのでとても困ってしまう。いまいち全体にまとまった展開というのもないし、まぁよくある、連載や原稿を集めましたという体裁の……。メディア史って肌に合わないなぁ。

6/8

小川一水『天冥の標 IX ヒトであるヒトとないヒトと part 1』(ハヤカワ文庫 JA)

なんかだんだんダルくなってきた! ケレスが宇宙船になってるのなんてだいたい想像ついてたよ。重力がどうのとかいってたし……。ロボット相手に道徳を説くあたりもすごい興ざめだ。自民党員相手に演説したほうがよろしいのではないか。だいたいイサリもアクリラにカドムの寝取らせを勝手に依頼なんかしちゃってるがカドムの意思はどうなるんだ。

6/10

青木健『ゾロアスター教』(講談社選書メチエ)

なんだか相変わらずいろいろ不安になる書き方で、「イラン・ペルシア州のナクシェ・ロスタムの山頂の死体曝し台に横たわる著者」とか「現在のイラン高原のアーリア人(中略)に被害者意識が強いのも、遠因をたどれば、先祖が実行していたこの専守防衛の呪術に原因があるのかも知れない」とかそういうところでここはツイッターじゃなくて選書メチエなんだが大丈夫か……?となってしまう。過去には曝葬に用いられていた死体曝し台に横たわるのが一般的なイラン観光の方法だとしたらスミマセン。イラン人の被害者意識が強いのかどうかわたしはよく知らないが、かりにそうだったとしてシーア派も被害者意識強めになる可能性のある宗教じゃないか? まぁこれが著者のユーモアだというのならそういうことにしておくが……。
歴史上ひとつの宗教としてゾロアスター教がどのように生まれどのように発展しどのような形態をとり……というのを淡々とやる*4のでへんに美化されてかえってよくわからないゾロアスター教にうんざりしてる向きにはよい本かもしれない。しかしゾロアスター教は出家もしないし苦行もしないし禁欲も命じないしでいい宗教だな。生まれですべてが決まることを除けば…………。

6/10

似鳥鶏『夏休みの空欄探し』(ポプラ文庫)

ピュアフルじゃないほうのポプラ文庫買うのめちゃくちゃ久しぶりな気がする! どういうレーベルの違いなのかはよくわかってない。ていうかポプラ文庫ってまえから UD 明朝だったっけ?
ド陰キャ丸出しの主人公がなかなかきょうびラノベでもみないくらいでちょっとキモいし(葉山くんはもうちょっと友だち多くて明るかった)、マック(ではない。)で隣の女子高生が解いてた謎解きを勝手に解いてそれを直接伝える勇気がないからレシートにヒントを書いて残していくみたいな出会いのシーンはめちゃくちゃキモくてたじろいでしまった。なんやかやで主人公を含んだ四人で謎解きパーティが結成されるが、基本謎を解くのは主人公だけなので残り三人は賑やかし以外でどう話にかかわってくるのかよくわからない。でも似鳥鶏はこういう読者の俗情と結託したテンプレ展開をやってると見せかけて毒を仕込んでくるみたいなの前科が何犯もあるから油断してはならんな……と思いつつ読み進める。いやしかしそれにしたってナンパから助けてあげて好感度アップて……角川スニーカー文庫じゃないんだから。柳瀬さんならスタンガンが一閃してたところですよ。でもさ~こういうのどうしても萌えちゃうの人間の弱さだよな。うう……。
なんかこれって私立文系の大学生ミス研員が男女混合で謎解きイベントに出かけ頭脳派を任じるオタクくんが活躍してキャーキャーいわれるみたいな……そういう夢を小説に落とし込んだ形ですか? 暗号はどれもしょうもないというか暗号ものってそもそもどうやったらおもしろいのかよくわからない、あたしが単純にそんなに好きじゃないジャンルなんだよな。ていうかクイズと暗号は別ジャンルじゃないか?
でけっきょく読み終わると似鳥鶏の前科に +1 が付いたという……。しかしこのオチは……………………スターツ出版文庫になってしまう…………………………。
主人公が独力で七輝の隠していた事情に気づいて、でも事情に気づいたのを隠して謎解きの旅を続けて、いつか隠しきれなくなって……みたいな流れにすればもうちょっとぐじぐじでどろどろに出来ただろうが、ぐじぐじでどろどろにはしたくなかったのだろう。天下り的に雨音から真実が伝えられるということになる。
うーん、しかし、病弱な美少女を出して感動と同情を誘っておいて、病弱な美少女が出てくれば感動するんだろと当該美少女に言わせるというのは紋切型を抜け出ようという意志は感じるもののけっきょく逆張りであって、もう一声やっぱり……ほしいよね。もちろん言いっぱなしではなくてお涙ちょうだいよりもひとからはけっといわれるような幸せな日々にフォーカスした描写で終わらせるみたいな工夫はしているわけだが、でもあんたいまさっき難病をミステリのどんでん返しのために使ったばっかりでそんなお行儀よくされてもなぁ……と思ってしまう。はじめから難病ものであると明らかなロマンスに比べて、物語のツイストのために出てくる難病はよほどうまく扱わないと、目的ではなく単なる手段として人の死を扱っているように思われてしまうのではないか? 「優しくないし健気でもない」はまさにある要素がミステリ的なツイストとして成立してしまうこと、それを成立させてしまうわれわれの認知的な前提を批判しているので実のある皮肉になっていて素晴らしかったが、今回のはただのまぜっかえしだ。最初から真っ向勝負で難病ものを書いておきながらこういうことをヒロインに言わせるならともかく(四季大雅はそれをやったし、これはたぶん半分の月がのぼる空の流れにあるんだろう)、ミステリのトリックにするために途中まで黙っていたことを「どうせ同情してお話として消費するから黙ってたんだ」にすり替えられても、まだ同情もしてないのになんで怒られないといけないんだになってしまう。うーん、考えれば考えるほどつくづくこれがミステリじゃなければナぁという気持ちになっちゃうな。ライとキヨのやりとりはお互い素直すぎるだろうというきもするがいい青春小説だったのに。なんだかさっきから批判ばかりしているがこの子たちのことはけっこう好きだったしそのぶん死んじゃうのも悲しいから構成ももっとよくできてたらよかったなみたいなのでこんなぐちぐちいってるんですよね。すみません、DV 彼氏みたいな論理で……。お前のためを思っていってるんだぞ! バシバシ!
あとどうでもいいけどマクルーハンの紙は透過光でディスプレイは反射光だから紙の方が集中できるみたいなほぼ謬見といってよいものをお出ししちゃうのは知識人ポジの主人公には似つかわしくないのでは。いや、高校生の雑学クンということであればかえってリアルか……。漱石は「月がきれいですね」とはいってないみたいなのは小説家各位もみんな気付き始めたようだが、リベットは自由意志を否定してないとかビュリダンはかわいそうなロバを餓死させてないとかそういうのにはまだ気付いていないっぽい。作家に都合のいい嘘雑学ばっかり書いてるとミステリという勿れになってしまう。
避けてたわけでもないが積極的に読んでこなかった難病ものというジャンル、ちょっと調べてみたらほんとうにさいきんとんでもなく流行ってるみたいでとんでもない量出ていた。網羅的に読んだらとても意地悪な気持ちになりそうだが、意地悪な気持ちにはなりたくないので、やめておくか……。風立ちぬ、愛と死をみつめてからはじまって、いちご同盟、TUGUMI, 世界の中心で愛を叫ぶを経由して半分の月がのぼる空、君の膵臓を食べたいと踏破していく特集やりましょう。いやじっさい余命ものの古典や名作じゃなくてテンプレを読んでこういうのが若いもんにウケとるんやねとどこかで体感しておきたい気持ちはあるのだが、そういう気持ちで読まれる本がかわいそう(というか失礼)なのでどっかで偶然出会いたいものですね。

6/10

大神晃『天狗屋敷の殺人』(新潮文庫 NEX)

もっと癖強いの想像してたらバリバリの新本格やね。ここでいう新本格の定義は〇と〇〇*5が出てくることですが……。
トリックはまぁ文句とかつけるタイプのあれじゃないからいいとして(図解は欲しかった)ミスディレクションらしいミスディレクションがなく犯人に意外性がないのと動機がぜんぜん面白くないのは令和最新版ミステリとしてはひとひねり欲しかった。あたし的には二個目の事件がよくできてたと思ったかな。使う分だけ盗めばいいのにごっそり矢と毒を盗んだ理由とか。翠ちゃんはもっと話に絡んでくるのかと思っていたが……。序盤のキャラの強さから後半スッと寝取られて終わってしまった。(物理トリック以外で)作者の性癖というか見せたいところが奈辺にあるのかよくわからない本ではあったな。こういう本をああいうへんな帯つけて売る意味はわからないが王道の本格ですみたいに売られててもあんまり売れなさそうだし出版社の苦労が透けて見える。道尾秀介先生もお疲れ様でございますな。

6/11

上総朋大『カナクのキセキ 2』(富士見ファンタジア文庫)

ネ、ネウたそ~。ぽやぽや読んでると急にミステリになってウケてしまう。

6/11

上総朋大『カナクのキセキ 3』(富士見ファンタジア文庫)

やや話が難しくなってきた。裏の方の章はもはやダイジェストで小説の体裁を為してないと思うのだが……。あとネウたそとアルマでフラグ立てるのはやめてほしい。RPG っぽい用語が出てくるたびに萎えてしまう。しかしこれって富士見ファンタジア文庫に付ける文句か?

6/11

上総朋大『カナクのキセキ 4』(富士見ファンタジア文庫)

話が大きくなりすぎてそれにつれて筆致もさらにダイジェスト化していき読むほうもなんだか流してしまう。すいません。ところでなんでちょっとお色気描写が増えるんすか?

6/11

上総朋大『カナクのキセキ 5』(富士見ファンタジア文庫)

よくわからん戦記ものになってしまった……。リーゼもかわいそうだけどなんか話を複雑にするためだけに作られたキャラ感は最後まで抜けなかった。
一巻がけっきょくいちばん面白かった。ネウたそはさいごまでかわいかったが……。ユーリエ(故)とカナクとネウでめぞん一刻やったほうがよかったんちゃうか。いや、それは俺の個人的な好みか……。

6/12

石田祥『火星より。応答せよ、妹』(光文社文庫)

あんまり読まないジャンルを書いてる知らない作家だったが妹モクで、購入……。あらすじに義妹と明記してあるので実義にこだわるオタクたちへの配慮も万全。えらい。
うおーん、面白い……。なんかあらすじ的にはわりと初期にお兄ちゃんが火星で消息が途絶えて火星の人的なかんじの展開になるんか?と思ったけど、終盤まではずっと火星からアプローチしてくるお兄ちゃんとそうなるまでの経緯としてふたりが兄妹になってからこれまでをじっくり書いている。お兄ちゃん的には中学生の時にとつぜんできた妹だけど妹的には年中さんのころにできた兄だからちょっと距離感というか温度が違うのが面白いところ。(物心つく前からだし)妹的にはほとんど実の兄だが、お兄ちゃん的には他人であることを頭では理解しつつもそうはいってもちっちゃいころから知ってるし、という……。とはいえぜんぜんタブー感はなく、親とかも応援してくる。応援はするなよ。
ふだん触れているフィクション(パソコン用恋愛アドベンチャーゲームのことです)だと妹は複数いるヒロインのうちの一人で、ほかのヒロインには年上属性とかも備える必要があることから主人公はそれらヒロインの平均あたりの年齢――ようするに高校二年生――であることが多いが、ヒロインひとりなら兄妹間にわりと広めの年齢差を設けることができる。なるほどなぁ。
手に汗握る展開というわけでもないしすごいひねりがあって驚くとかそういうかんじでもないし、熱愛が成就して大文字のハッピーエンドというかんじでもないが、地に足の着いた筆致で家族愛とも異性愛ともつかない不定形の感情を描いててよかった。まぁでもややちょっとお兄ちゃんがグイグイ行きすぎてキモいかも。いやしかしパソコン用恋愛アドベンチャーゲームやラブコメではお兄ちゃん側からグイグイ行くことの犯罪っぽさを消臭するために妹側にばかり重い好意があることにさせられたりしててかわいそうだしこんなのがあってもいいか。

6/12

衣川仁『僧兵=祈りと暴力の力』(講談社選書メチエ)

悪僧、僧兵とは一部の荒くれもののしわざではないし、難民化した平民が寺社領に浸透していってしだいに堕落・武装していったものでもない。もっと計画的に寺社の側が護法の論理などを駆使して初期の武家などをも取り込む形で整備していったものだ、というようなかんじ? そこでキーワードになるのが「冥顕の力」なのだが……。具体例が多く、そこから抽象化するのは頭のいい皆さんならおわかりですよねみたいなかんじで超スピードなので日本史初心者はちょっと苦労してしまった。
われわれはやっぱり宗教者なのに暴力を振るうの? やぁねえ……みたいな興味で僧兵をみてしまうが、それって現代の骨抜きにされた宗教者がもし暴力をふるっていたとしたらみたいな反実仮想のもとのやぁねえなわけで、中世の宗教者は聖俗ともに実質的な力を兼ね備えた立派な権力闘争のプレイヤーなわけで、そういうやつらがときには祈り(呪い?)の力で脅したりときには長刀*6を振るったりと考えるとまぁそういうこともあるのかもしれんというかんじはする。それでも野放図な秩序や規律の崩壊に伴う暴力の表れじゃないから堕落じゃないよというのはわからなくもないがやっぱりお坊さんが武器を取ったら堕落は堕落では……? 前フランス史の本を読んだときも騎士修道会はばっちりがっちり堕落して王家への金貸しになってたりした。
強訴の章は僧兵(というか大衆だいしゅ)たちの小物っぷりがすごい。武器は持ってくけど本気で戦争する気でもなく、神輿を担いでいってん?俺らに手出したら天罰下っちゃうけど~みたいなかんじで朝廷に言うことを聞かせようとする。武力的にもじつは大したことはない。半分ヤクザやさんみたいなものだがこれも日本史学者の手にかかれば暴力性を抑制した訴訟の一種という扱いになる。まぁ朝廷側も基本的にはヤクザやさんみたいなものだから比叡山ばかりが悪いわけでもない。

6/13

駿馬京『あんたで日常せかいを彩りたい』(電撃文庫)

あっ女装潜入ものだ。天才イラストレーターだけど生活はさっぱりで不登校やってる女の子のお世話係に……ここはさくら荘か?
なんか文章がめちゃくちゃ素人臭く読みづらい。天才ポルノみたいなの一部に需要が存在することは知ってるけどなにが面白いのかわからない。話の流れは全体的に突飛で無理があるし女装設定は結局なんだったのってかんじだしだれのどういう感情に焦点を当てればいいのかわからないし会話はうすら寒いし開陳される芸術論も天才論もびっくりするほど陳腐でなにがしたいねんこれというかんじ。あとコーヒーはさすがに琥珀色じゃないだろ*7。形而上ってどういう意味で使ってるの? あとオタクってなんで比翼連理って四字熟語が好きなの? 比翼連理のコンセプトを(ぜんぜん意味不明ながら)延々と会話でぜんぶ説明したうえで、いざ舞台に立ったらそのシーンは数行で流すのびっくりしてしまった。演奏とか演技とかって小説で表現するのがとにかく難しいのはわかるけどここまで潔く逃げられると笑ってしまう。けっきょく主人公は女系優位(この設定も行きすぎててほぼファンタジーになっているが)の名家で育てられて抜け殻みたいになっている(わりに発達障害者のヒロイン相手にズバズバノリツッコミしている)のだがけっきょくぼやぼやと俺にはなにもない……をやっていたら天才アーティストさんが「あたしの話をきいてくれた」みたいな理由で一目ぼれしてくれて、なにからなにまでお膳立てして舞台に乗っけてくれる。主人公がなにかのきっかけに奮起するとかそういうシーンすらなく、ただただぼんやりイヤイヤしてると王子様(?)が救ってくれるのでカタルシスもなんぼもあったもんじゃない。

6/14

八木沢敬『分析哲学入門』(講談社選書メチエ)

なんか学部生のころ読んだ記憶あるけどメチエの kindle unlimited に入ってたからもう一回読むか。ぜんぜん覚えてないしな。ギョーザのタレの入った皿を床に落としたのを地球のせいにする八木沢先生をみてあっなんか……記憶がちょっと蘇ってきた。脳移植はノーという伝説的なダジャレを生み出した本でもある。
昔読んだ時はなにいってんだかさっぱりわかんなかった心脳問題や可能世界の話がわかるのでおもしろい。八木沢先生はもちろん様相実在論者なのでしれっと(?)もの主義を推してくる。

6/15

マルセル・プルースト『失われた時を求めて 7 ゲルマントのほうⅢ』(岩波文庫)

このペースだと年内に読み切れるか怪しくなってきた。われめてはバカンスにまとめて読みなさいとかいってるフランス人たちが憎い。ジャップにバカンスなんてありません!
オリヤーヌには興味をなくし、ステルマリア夫人には捨てられ(爆笑ギャグ)、「私」はアルベルチーヌで妥協していく。
あいかわらず社交界のシーンが多くて気絶しそうになる。ドアが開いてからだれかに紹介されてはその人やその家系の品評を数十ページやって……みたいなのを繰り返すので数百ページ読んで進んだ時間が一時間みたいなことがざらにある本なのでしょうがない。

6/15

鈴木大輔『義理の妹と結婚します』(MF 文庫 J)

義妹ものにもいろいろあって、妹もののサブジャンルである場合と一つ屋根の下もののサブジャンルである場合があるのだが、これは後者よりの無だった。主人公のキャラがキツすぎる、友人たちのキャラがキツすぎる、ストーリーがなくてどう面白がったらいいのかわからなすぎる!

6/15

鈴木大輔『義理の妹と結婚します 2』(MF 文庫 J)

つまんなかったのになんで続編読むんだよ。無の延長戦が続き、つまらなかった。もう二度と義妹もののラノベなんて読まないぞ!

6/15

村田天『俺と妹の血、つながってませんでした』(富士見ファンタジア文庫)

アマゾンのレビューとかだと家族愛が強調されてるっぽいから読んだが、べつにそんなこともなく、あんまりおもしろくなかった。いいかげん家出をプロットポイントに持ってくるのやめようよ。令和だぞ。もう二度と義妹もののラノベなんて読まないぞ!

6/16

似鳥鶏『理由あって冬に出る』『さよならの次にくる』『まもなく電車が出現します』『いわゆる天使の文化祭』(創元推理文庫)

とつぜん頭がおかしくなって葉山くんシリーズ*8を読み返す。うーん、おもしろくてムカつく(?)な。日常の謎って当事者にとっては自明ななんらかが観測者にとっては(意図的、偶然は問わず)隠されているために不可解に見えてしまっている状況、みたいな謎が主流だったと思うんだが、葉山くんシリーズにおいては明確にだれかがトリックを仕掛けにくる*9というところで異色といえば異色だ。とはいえ人間そうそうトリックをしかけてだれかを騙そう欺こうとするわけないし、いきおい誤魔化そう隠そうという動機が主になるわけで、じゃあそこでなにを誤魔化してるのか、隠そうとしてるのか、が話題になる。犯人の悪意ではなく、弱さがトリックを要請するのだ。そこに切実さとかドラマが生えてくるんですな*10。そういう意味だとあたし的には「シチュー皿の底は並行宇宙に繋がるか?」みたいなのがけっこう理想の日常の謎なんだよね。好きなのはほかにもいっぱいあるけど。「今日から彼氏」はつごう十回目くらいの再読だと思うけど、新鮮な胸の痛みがあったのでまだまだあたしって中学生なのカモ……と思いました。ていうかこのシリーズ、ミノが希代のトリックメーカーすぎる。瞬発力がすごいんだよね。伊神さんと同等レベル(それ以上?)に頭がいいのはたぶんこの男。いいやつだし*11。柳瀬さんというひとがありながらしょっちゅうほかの女に鼻の下伸ばして(は痛い目に会って)る葉山くんとは人間の出来が違う。あと秋野はもうちょっとしゃっきりしたほうがいいと思う。でも女子高生なんてこんなもんか。そうかな……そうかも……。

6/17

八亀裕美、工藤真由美 『複数の日本語 方言からはじめる言語学』(講談社選書メチエ)

メチエばっかり読みやがって~。すみません。おもしろくて……。
言語類型論的には標準語より標準的な(といっても割合として多いというだけだが)文法特性を持つ方言も多いよねというはなし。西日本には進行と完了を使い分ける方言があるというのは有名な話だが、それ以外にも目撃/それ以外、体験/それ以外などのアスペクトを使い分ける方言もある。おもしろいな~。標準語にはない文法特性を持つ方言の話者が、その特性が標準語にないことを認識していないがために誤った標準語を使ってしまうことがある事例の分析とかが面白い。「しよる(進行)」と「しとる(完了)」を使い分ける方言の話者が、「しよる」も「しとる」もどちらも標準語では「している」に翻訳されるとだけ認識していると、建築中の家をみたときに「家が建っている」みたいな表現を使ってしまう。標準語では「している」に進行/完了のどちらもが背負わされているわけだが、「建つ」のような変化動詞では「している」がもっぱら完了に解釈される*12みたいなニュアンスがある。方言では活用で実現されている表現の差異を標準語ではべつのところで行っているというのがわからなかったというお話。なるほどねぇ。そのほかにも証拠だとか驚愕だとかもの珍しい文法範疇がいっぱい出てくる。こういうのをみると人工言語を作ってる人たちは大変だろうなぁ(文法で実現するのか語彙で実現するのかとかそのバランスとか歴史(そんなものは存在しないのだが)的な説明とかにセンスがめっちゃ出てしまいそう)と謎の心配をしてしまう。

6/18

三原みつき『義妹は浮気に含まれないよ、お兄ちゃん』(富士見ファンタジア文庫)

えふつうに面白くてワロタ。なんかコンセプトがすごいとかストーリーがめっちゃ光るものがあるとかそういうあれではないけど文章がちゃんと読めるしたまにンフッ……wくらいのギャグ挟んでくるし*13付き合い始めて初手あーんって昭和かよとか思ったら伏線だったりでなんか足腰がしっかりしてる。義妹ものといいつつ本妻がTRUE LOVEすぎて大丈夫か?と思ったらほんとにそういうコンセプト(浮気ものだけど本妻を引き立て役にはしない)でやっていくらしい。ほんもののおとこだ。がんばってほしい。あと道徳的でない、心理的なタブー感についても触れられててうれしい。もう義妹もののラノベなんて読まないなんていわないよ絶対。
コスプレとかファッションの話はぜんぜんよくわからなかったが 2.5 次元の誘惑や着せ替え人形、ビンテイジなどで予習してあったので助かった。ありがとうラブコメ漫画たち。

6/18

三原みつき『義妹は浮気に含まれないよ、お兄ちゃん 2』(富士見ファンタジア文庫)

カリスマとルシファーとペガサスたちいいやつでワロタ。ヒクイドリ vs ラーテルのくだりマジで何?
本妻デートからの義妹誘惑のくだりを繰り返すのはちょっと退屈だったがデザイナーが出てきてからなんか急激に面白くなる。これもしかしてつり乙ですか? まぁでもここで打ち切りなんですよね。だはぁ。

6/18

似鳥鶏『昨日まで不思議の校舎』(創元推理文庫)

てかなんかいろいろ読み返してて気づいたけど似鳥鶏の日常の謎長篇って模倣犯というか便乗がすごい多い。事件を複雑にするためにはしょうがないところもあるけど……。これはなんかしょうもない動機、しょうじきよくわからん動機、しょうもないがこれをしょうもないと思ってしまうわれわれのほうに差別意識がある動機の三本立てで、トリックはしょうもない、すごい、しょうもないの三本立て。ネタ切れ感をメス堕ち柳瀬さんでバランス取ってるようなかんじは……やっぱりするよね。

6/18

皆藤黒助『やはり雨は噓をつかない:こうもり先輩と雨女』(講談社文庫タイガ)

タイトルが実物だと印刷標準字体なのにネットだとそうじゃないのが使われてるとどうしようかなってなることあるよね。あーしは現物主義だから印刷標準字体を使いたいがちだが……。
皆藤先生は『ことのはロジック』がすごかったので似たようなのを期待してよう怪も読んだがそんなではなかった。ことのはロジックがすごかっただけなのか?とも思ったが、おなじくタイガから出てるこれもすごかった。ことのはロジックはことばにまつわる豆知識尽くしだったが、こっちは雨に関する豆知識尽くしで構成されていて、豆知識の尽くされ方ではこっちのほうがすごいかもしれない。
「一話 五色の雨の降る朝に」は五色の雨とはなんなのか?という謎自体は面白いが、その説明はちょっと無理がありすぎる。でも感動的だし、なにより目を閉じてその情景を想像させるところでほんとに目の前に情景が立ち上がってきたのでよかった。あたしはけっこうアファンタジア寄りで小説とか読んでてもそれは文字のつらなりであって脳内に視覚的なものはほとんど浮かばないのだが(音とか匂いとかはできる)、こういう理詰めがあるとなぜかできるので不思議だ。小説的現在を描かれても思い浮かべることはできないのに、探偵が限られた情報から再構成した小説的過去の情景だとなぜか想像できるってことなんですよね。じっしつ「エコーのなかでもう一度*14」なんだよね、わかる?
「二話 七夕に乞う洒涙雨」はほんとうにロマンがすごい。飽きたとか言いながらペットボトルロケットを飛ばし続けるガキと屋根の下で傘を差す謎の女からこんな美しい情景につながることある*15? 目にはみえない〇〇〇と、雨となって降り注ぐ〇〇!!! これでセンスオブワンダーが刺激されなかったら嘘じゃんね。なんかだんだんわかってきたがほとんどこの喜びは SF だ。
オチのつけ方は優しいが、作者が優しい(たぶんそう)か、一般文芸よりのライトミステリでは悪意(もちろん作中人物間の悪意じゃなくて作者から読者に対する悪意――読者の期待や先入観、偏見、あまり趣味がいいとはいえない欲望を揶揄したり逆撫でしたりするような展開――のことだ)あるオチはウケないですよと編集者にいわれてるかのどっちかだろう。日常の謎ならなんかビターにしないといけないなんてことはぜんぜんなくてこういうのもありだ。
「三話 雨夜の月にさよならを」も傑作だった。無念の落涙とかいいながら泣いてないことたまにある(すみません)けど、これはほんとにちょっと泣いてしまった。都合よく過去の記憶忘れてるヒロインは都合がいいなというかんじだが、まぁトラウマの抑圧かもしれない。台風の中大けがをして命の危険が迫るなか、台風の目がきたことで一命をとりとめたが――。こんなにアイロニカルな悲劇があっていいんですか? 雨月先輩が母を誇りに思っていると述べるところで空知らぬ雨が降りやまなくなってしまった。こういう小説があるとまだまだ世の中捨てたもんではないなというきぶんになる。
収集した雨雑学を違法建築して作ってるプロット*16なので、自然じゃないとか無理があるとかお話のためのお話になっているとかそういうのでノリきれない人がいるっぽいのはなんとなくわかるが、わたしはこういうやつこそ好きだ。皆藤先生はタイガでいっぱい書いてくれ。

6/18

久遠侑『近すぎる彼らの、十七歳の遠い関係』(ファミ通文庫)

遠い親戚の女の子と急に一緒に住むことになってうんたらかんたらみたいな王道のやつ。あとがきで作者がいってるとおり「ストーリーよりも描写そのもので魅せたい」みたいな理想があるのはわかるが、ほんとにストーリーに起伏がないのでどうしたもんかねこれはというかんじになる。ヒロインが(顔以外に)どう魅力的なのかもよくわからない。
あとなんかすごい登場人物の見た目を描写するのにこだわりがあるのか、冒頭からちょっと描写を拾っただけでも

鎖骨のあたりまでのミディアムヘアはストレートで、耳の上の方がわずかに覗いている。にこりと弛められた頬や眼差しは柔らかく、白のブラウスに薄いベージュのカーディガン、紺色のロングスカートという落ち着いた服装とあいまって、きちんとした印象の子 だった。

システムキッチンの前には四人用のテーブルがあり、その傍らに、クリーム色のカーディガンを羽織った母が立っていた。

ドアが開き、長めの髪を暗い茶色に染め、色の濃いジーンズと、胸元の開いたスリムな七分袖のシャツを着た兄が、軽薄な笑みを浮かべて姿を現した。

視線を上げると、薄いTシャツに、お尻の周りを覆っているだけのようなショートパンツといった姿の和泉が、脱衣所のドアから出てきた。

軽くウエーブのかかった髪を一つにまとめて、部員共通のブルーのハーフパンツにサッカーソックス、その上に白の半袖ウエアを着ている。

橘もまた、ブルーの部活パンツを穿き、上は胸元に名前の入った体育着、肩くらいまでの長さの髪を二つに結んでいる。

二人とも、紺色のスカートにブラウス、紫のリボンという夏服姿だ。由梨子は半袖、橘は長袖を、肘のあたりまでまくっている。

和泉は、赤いチェック柄の半袖のボタンダウンシャツに、昨日も穿いていた紺のロングスカートを合わせていた。茶色の革のポーチを、膝の上に置いている。

彼女は、紺地に赤いチェックの入ったスカートに、クリーム色のベスト、赤いリボンという組み合わせの制服を着ていた。

そして、午前中四時間の授業を終えて昼休みになると、教室のドアのところに、ひょっこりと、短いスカートに半袖ブラウス、ミディアムの黒髪に少しウエーブをかけた女子生徒が現れた。

まだ見なれない、クリーム色のベストの制服。和泉だった。横長のスクールバッグを肩にかけ、玄関で茶色の革靴を脱いでいる。

と、その途中で、白地に赤のボーダーラインが入ったゆったりとしたTシャツに、紺色のふわふわとした柔らかそうな布地の七分丈のパンツといった部屋着に着替えた和泉が降りて来た。

彼女はもうバッグを肩にかけ、ちょうど膝上くらいの丈のスカートと紺色のハイソックスを履いた制服姿で、家を出るところだった。

彼女はノースリーブの青いシャツに、茶色のショートパンツという格好で、素足に赤いスリッパを履いている。

近くで見ると、和泉が着ているピンク色のトレーニングシャツはかなりスリムなコンプレッションタイプで、彼女の意外とメリハリのある体のラインがはっきりと強調されていた。

彼女は、ジーンズ生地のミニスカートに、白いTシャツを着て、背中に布の生地のナップザックを背負っていた。

とすごい量出てくる。どうやら(老若男女問わず、)登場人物が主人公の目の前に姿を現すたび、義務的にその姿型が描写されているようで、ゆきとどいた表現というよりはなんらかの偏執的なものを感じる。もちろん細部へのこだわりは服装だけではないのだがこと服装に至ってはこうやって義務的に挿入されるうえに義務だからまったく工夫がなく、こわい。主人公の一人称形式の文章だから、これだとただただひたすら主人公は出会った人ぜんいんの服装を忠実に描写することに関心のあるド変態ということになってしまう。無味乾燥な服装の描写を義務的に挿入することがストーリーではなく文章を読む喜びにつながるとお考えであったら申し訳ない。いやべつに服装の描写を逐一入れることそのものが悪いわけではない。ただ、そのやり方として主人公がだれかと遭遇するとまずなにを差し置いても目に入った人間の服装を「〇〇は~~という髪型にして、××を着ていた」と述定するというのがきわめてぎこちないという話であって、たとえばさっき挙げたなかからてきとうに一個選ぶと、

と、その途中で、白地に赤のボーダーラインが入ったゆったりとしたTシャツに、紺色のふわふわとした柔らかそうな布地の七分丈のパンツといった部屋着に着替えた和泉が降りて来た。

とあるが、こうやって出会いがしらにいきなり上から下まで眺めまわすんじゃなくて、

と、その途中で部屋着に着替えた和泉が降りて来た。(……中略……)話を終えて、狭い廊下ですれ違おうとしたとき、彼女の着ていた紺色のふわふわとした柔らかそうな布地の七分丈のパンツの裾が、俺の太ももを掠った*17

みたいなかんじで、服装を書くにしてもなんらかの動作やイベントと組み合わせて描写するようにする、とかそういう工夫をするのがたぶん文章そのものを読む面白さなのではないか。いや、出会い頭に上から下まで眺めまわすのがこの主人公のものの見方であってこれは不可変なのだといわれたらもうそれはそうにゃんですか、なのだが。小説のなかで具体的なものがもの単体で意味をなすこともあるだろうけど(ボヴァリー夫人の帽子みたいにね)たいていの場合はシーンの動きのなかで、感情の動きのなかで役割を持つからこそ具体的なものが出てくるんじゃないだろうか。すんません、ちょっと服装の描写が多かったくらいでなにをぺらぺらとというかんじっすよね……。

6/18

久遠侑『近すぎる彼らの、十七歳の遠い関係 2』(ファミ通文庫)

あっメインヒロインそっちだったの!? おれもじぶんのことをなかなかのラブコメに通じたラブコメ粋人(すいじん)だと思っていたがふつうに予想外でびっくりしました。でもこっちのほうがしっくりくるね。そらそうだよね。
一巻であれだけごちゃごちゃいったくせに(べつに意見を翻すわけではないが)なんか読み終えてみるとなるほど……こういうことを……やりたかったのですね……となる不思議な小説で、たしかに過剰なサービス精神、過剰なロマンティシズムを排して恋愛小説をやるというコンセプトを完遂している。ある目的があってそれをよく実現できている作品はよい作品なので、これもよい作品だ。しかしそれをライトノベルレーベルでやるべきかどうかはわからないが……でもラノベ読者もこういうのが嫌いなわけではないだろう。むしろ読者の興味を数十ページごとに引くためだけに特化したラブコメに食傷したひとたちのためにラノベレーベルで出してくれてるのかもしれない。リアルかどうかといわれるとわからない。高校生のころ親戚の異性と半年同居することになった経験がないため……。
この小説いちばんよかったのは夏の描写で、田舎に帰るところは匂い立つほどに夏だった。親戚たちが階下で話していて、じぶんは二階のかつて父親のものだった部屋に引きこもって、高校野球の中継が漏れ聞こえてきて、本棚に並んでる本はじぶんの知らない本で、冷房はリビングにしかないけどじぶんでそこから逃げてきた以上冷房のない部屋で昼寝するしかなくて、起きると汗が不快で、ヒグラシが鳴いている。日本の田舎の夏だ。あと嵐で母親が帰れなくなって家に里奈と二人っきりになるあたりはかなり夏目漱石だと思った。ほとんど行人なんだよね。なんかおもうに一人称小説でさえなければもっとよかったんじゃないかという気がする。服装の描写だけあいかわらず執拗で笑ってしまうが、いい小説だ。

6/19

小川一水『天冥の標 IX ヒトであるヒトとないヒトと part 2』(ハヤカワ文庫 JA)

もたもた……もたもた……。おれはこのシリーズで巨大な話が進行しつつそれに(全体像を知らない)振り回される個人が描かれるのが好きだったのであって、巨大な話を進めてる人たちのことを描かれてもあんまりにゃ。Ⅵあたりがいちばん戦争のスケールが大きかったが X ではもっとおおきな戦争になりそうでそれは楽しみだが。

6/20

岡崎琢磨『道然寺さんの双子探偵』(朝日文庫)

岡崎を読むのはタレーランの二巻ぶりだ。タレーランは謎がどうのこうの以前に恋愛観がキモすぎてリタイアしてしまったのだが、双子の響きに釣られて買ってしまった。俺は……弱い。ていうかタレーランっていま八巻まで出てんのね……続き……面白いのかな……でも……この歳になって女子高生に間違われる童顔の美人バリスタが「その謎、大変よく挽けました」とかいいながら京都で日常の謎を解く小説を読むのは……。
道然寺さんは善意担当の探偵である双子の姉ランと悪意担当の探偵である双子の弟レンという分担がちょっと目新しい。どっちかがまず事件関係者の善意か悪意に基づいて推理を組み立てて、そのあとにもう片方がそれをひっくり返す推理をするという流れ。でもけっきょく個々の謎があんまり面白くない。三話目の「すでに新しい子を妊娠しているとわかっているのに、それを隠して妊娠祈願のために水子供養を依頼しに来たのはなぜか?」という謎は例外的にへんな小説で面白かった。ほかのはまぁ謎はこのくらいの水準でご勘弁してもろて人情パートで泣いてくだせえやヘヘヘ……というかんじで、まぁでも人情パートがけっこういい話だったので総合的にはいい話だった。このあたしがうっかり人間の善性を信じそうになるとはな。住職も若和尚も双子もみずきちゃんもみんな見せ場があるので無駄な登場人物がいないかんじがしてよい。
さいごの話はオカルト入ってて面食らう向きもあるだろうが夢の部分を抜いてもミステリ部分はちゃんと成立するようにできてるのをみると良心的で……いいね!となる。

6/21

似鳥鶏『家庭用事件』『卒業したら教室で』(創元推理文庫)

「お届け先には不思議を添えて」はかなり双頭の悪魔だ。「優しくないし健気でもない」はやっぱり傑作。作者の Twitter みたいな正義感が濾過されずに出てくるのはちょっとたじろいでしまうがそれも含めてやっぱり傑作なのだ。犯人がバイクで尾行した、というところから葉山くんが推理するロジックと伊神さんの別方向からのロジック(なぜバイクをレンタルしたのか)で別解が存在するのが面白い。
『卒業したら教室で』は異世界パートよりもよっぽどラストの風紀委員がどうのみたいな話の方が現実味がなくてついていけない。試験とか操りとかで複雑さが増されてもあんまりドラマ的には面白くならないし、ミステリ的には驚きが増えても盛り上がりはそんなに……というかんじ。というかオルスティーナさんの動機(現実世界の方の話ね)がいい話ではあるものの納得感があんまないんすよね……。というかいい加減密室に人が現れたり消えたりするネタは食傷じゃないか、さすがに…………。
これで終わりというわけではないらしいので続きを出してほしいんですけどねえ。柳瀬さんと葉山くんは最終的にはくっついてもいいけどその前に翠ちゃんに寝取られたり菜々香とよりを戻したりしてほしい。いいじゃんね、柳瀬さん不在の市立の美術室でからかい上手の翠ちゃんに弄ばれる葉山くん……。ていうか「うちの人」は音楽用語になじみがあるらしいが、……だれ?

6/21

岡崎琢磨『道然寺さんの双子探偵 2 揺れる少年』(朝日文庫)

あとがきで、地震の話を書く都合上一巻で前提としていた(べつだん明記はされていないが曜日の並びなどで読み取れる)作中時間よりもこっそり一年先に進めることになってしまい申し訳ないってちゃんと書いてて、岡崎先生は真摯でえらいと思った。単行本から文庫になるときに気軽に表現を弄るタイプの作家と違って書いた文字に責任を持ってることがわかる。
一話からレンの推理を鵜呑みにして謎解きしたらあとからランに読み切れてない要素を指摘されるみたいな流れで、一海さんは一巻で反省しとらんのか?となった。双子の両方に話を聞かせてから関係者にお話ししなさい!
面白かったのは「地震があったら困るから」という理由で家から出られなくなった母親の話で、冷静に考えれば地震があったら外にいた方が(場合にもよるが少なくとも作中ではこの母親が住んでるのは築年数深めの建物のしかも一階だ)安全なのに、なぜ? というところに予想外だけど納得できる解決が付く。
いやまぁしかし前巻からそうなのだが、作者がよほど性格がいいのか、性格の悪い登場人物や描写が出てくるたびにいやこういう事情もあったのかもしれない、こう考えれば納得できないこともない、みたいに火消しに走ることが多く、悪意そのものを劇的にお出しする演出に常に苦心惨憺しているひとたちからすると文化がちがうわね……となる。性格がいいのはいいのだが、いじめ問題を扱ってこの結末のつけ方をすると、この描写を一般化しているわけでも理想化しているわけでもないというのは承知の上で、それでも受け入れられない被害当事者というのはいそうだ。難しい問題じゃよね。

6/22

岡崎琢磨『病弱探偵 謎は彼女の特効薬』(講談社文庫)

なはは、ライトミステリの教科書みたいな作風だ。どれも謎じたいはしょぼいがその代わり動機と釣り合っててこのくらいの動機でこのくらいの謎が発生するのは現実味あるかもねとなる。「IBS と《着替えられた浴衣》の謎」はとくに動機がいい。「インフルエンザと《借りさせられた図書》の謎」はちょっとだけ「子供たちの肖像」(G. R. R. マーティンの)だ。とくに安楽椅子探偵ものとして凝った構成があるわけでもなく、ラブコメとしては魅力不足で、うにゃうにゃ。

6/22

天祢涼『境内ではお静かに 神盗みの事件帖』

前までの巻のアマゾンのレビューでミステリ部分と神社関係ないやん(笑)みたいなの書かれたからか神社成分増してて改善を感じる。たしかに塾の事件もフィギュアの事件も神社ほぼ関係なかったしな……。でも天祢はなんかのインタビューで「神社自体は舞台装置で、主人公の青年とかわいい巫女さんをイチャイチャさせたいというそれだけで書いてます」と言っているから……。
やっぱり面白いのは今剣が盗み出されるメインの事件。姿かたちをだれも知らないご神体をどうやって盗むのか? 盗んだといっても物体としてのご神体は存在しないオチになったらシラケるな……というところをご神体の意外な正体で面白く仕上げてきたうえに二番底を仕掛けてくる。いや~やっぱりそこらのライト文芸とはミステリの年季がちゃいまっせ!という意気込みを感じますな。面白かったです。でも作者はミステリよりラブコメに熱心みたいでネットで連載してる公式二次創作(ではない)を読んだら無事血中ラブコメ濃度が急激に上昇してしまい……いや、けっきょくラブコメでもミステリっぽいフォーマットで書いてる回多くないか? 坂のやつとか。正体現したね。

6/23

J. シェファー『インセスト 生物社会的展望』(学文社)

既存説のおさらいと批判が大部分を占めるのでこの分野をこれから研究しようというわけでもない興味本位のあたしはちょっと読み飛ばし気味に……。でもシェファー自身の主張が出てくる章はめっぽう面白い。メスが生涯に持てるこの数を例えば 2 とした上で遺伝子の濃さだけを計算すると、妹と子どもを作る(0.75 の子が二人できる)のも、じぶんは外婚して(0.5 * 2)妹の子(オイとメイ=0.25 * 2 )を期待するのも、期待値的には 1.5 でおなじなのだ。だから妹の外婚が閉ざされてる上で一夫多妻制が成立してるみたいな状況がないとあんまりうまみはない。いっぽう父娘婚は遺伝子的にはオスメスともに利益が出てしまうことになるのだが……。いろんな組み合わせと状況でメスが損をする場合が多く、よってインセスト回避はもっぱらメスの側に強い動機があると考えられる。ラブコメのお兄ちゃんと結婚したがる妹はファンタジーってことですね。は? 知ってたが?(強がり)

6/23

円居挽『日曜は憧れの国』(創元推理文庫)

前読んだけどあんまり個々の話を覚えてなかった(八年前だしな)からその絆~を読みなおす前に再読することに。やっぱり「維新伝心」がいちばん面白い。

6/24

円居挽『その絆は対角線』(創元推理文庫)

なんか……ミステリ成分がどんどん蒸発していってる! 子どもたちの成長を描く青春とジジ臭い説教のあいだをゆらゆらしながら進むなかなかスリリングな読書体験だ。ジジ臭い説教もべつに嫌いではないんだけどね……。
ものすごいナイーヴな才能ポルノがはじまってかなり困ってしまったがこういうのをナイーヴだと思うことじたいなんかの防衛機制なのかもな。でもあたしは昔からこういう天才の存在に打ちひしがれる凡人みたいなテーマがまったく刺さらない。じぶんの無限の可能性を信じすぎなだけカモ……*18
傑作とか天才とかを扱うフィクションって当の傑作や天才を直接描けないと説得力がでないが、傑作や天才を描けるならそれらを描いたフィクションじゃなくて傑作そのものを書き、天才になればよいというジレンマがあるよなといういつもの感慨もありつつ。
しかしなんか日常の謎のシリーズって続いてくるとぜんぜんミステリ関係ない短篇を挟んできたりするけど(「長い休日」とかさ)おれたちが読みたいのはあくまでも青春要素のあるミステリであってミステリ要素のある青春小説シリーズじゃないんだよな。どんなにつまんなくてもミステリにしてほしい、なんか……ミステリ作家がいやミステリは手段であって小説表現上必要とあらば非ミステリも書きますよ笑ぼくはミステリ作家である前に小説家ですからね笑みたいなのやめてほしい、ジャンルのお約束にしがみついてほしい!! はあはあ……

6/24

水原佐保『初桜:青春俳句講座』(角川書店)

角川学園小説大賞のミステリー部門の氷菓じゃないやつその 2. その 1 であるところの匣庭の偶殺魔は数十億年前に読んだとおもうのだがなにも覚えていない。
一言一句を読者に印象付けようとしている謎の気合が感じられる文体で、あちらこちらに――ダッシュで挿入される文章――傍点、、の振られた文章、

「改行して強調されるセリフ」

が散見されて、まぁその素直に読みづらかった。わざとらしい話の飛躍とかあとからそうだったのか!となるわけでもない謎めかした発言とかも苦しい。でもデビュー作ってそういうもんだよね。
「桜」は隣の教室からどうやってカンニングしたのか?という謎。謎じたいは不可能趣味がシンプルで気持ちよく、それを直接切り込むんじゃなくてけれんみたっぷりに俳論とかに迂回するのでわりとわくわくする。俳論そのものもけっこうおもしろい。しかし……トリック自体はともかく、動機が意味不明じゃないか? あと個人的な趣味でカンニングを貫徹しなかったのもよくわからない。キャラも使い道がないのに多すぎる。
「菫」ではぜんぜん知らん人宛の手紙や荷物が自宅に届きまくる。それは求婚だったり罵倒だったりでどういう人物だったんだこいつは?という謎。うーん、苦しい! 住所の謎は無茶があるし(家庭訪問とかどうすんだよ)、かりにその無茶が通ったとして、いろんなひとからいろんな温度感の手紙や荷物が集中して届いたのは(ちょっとは理由付けされてるとはいえ)かなり偶然の産物。キャラは使い道がなかったからか間引きされてた。
「雛祭」は姉が連れてきた彼氏の不可解な行動の話。夢に向かってまじめに努力する好青年ふうの顔と、酔って暴力を振るったり父との顔合わせのお茶会をその場でドタキャンしたりする顔が矛盾している。解決は事情を一個代入するだけですべてが明らかになる系ですっきり。
名詞の文学としての俳句、俳句の有季と無季、なんか出てくる俳論がどれも面白く、いちおう事件に絡めてあるとはいえ事件よりよっぽど面白い。水原はこれのほかにもういっこ短篇を書いてるらしいが探すのがめんどくさいなぁ。

6/25

川合康三『桃源郷 中国の楽園思想』(講談社選書メチエ)

桃源郷、仙界、隠逸……中国人の楽園思想はなにが特徴的なのか?
仙界はべつに酒池肉林ではない。ただただ現実の世が無限に延長されるのが仙人であって、中国人は死後の極楽より現世の拡大を願った。さて永遠の世は天国と同じく不可能であるにしても、天国と違ってそれを実生活で真似することはできる。隠逸の志向である。中国の隠逸は日本の隠逸(西行みたいな)とはちがって官界への反撥であって、そこに厭世はない。一族郎党を引き連れて山にこもったのだという。まじか。
しかしなんか古典から例を引っ張ってくるパートが多すぎてちょっと退屈だった。まぁようするに人里離れたところで政治のわずらわしさから逃れて古代人のように素朴に生きるのがあこがれだよね~という話。白居易は皇帝の後見役として金はもらいつつ仕事はないからぼんやり隠居して人生の勝ち組だ。うらやましい。
ところで中国の楽園といったら桃源郷(桃花源)じゃないんかというかんじだが、じつは桃花源について書かれたものって陶淵明のあれ(桃花源記)しかない。陶淵明以降桃花源について書かれたもののほとんどは桃花源記に言及するものなのだ。ほえ~そうなんだ。時代によって桃花源の解釈は異なるということだがまぁそれは当たり前だろうというかんじだ。

6/25

氷川透『真っ暗な夜明け』(講談社ノベルス)

本格ミステリロジック派というとまっさきに名前が挙がる系の作家でまえからよみたいなあと思っていたがなんかなかなか手に入らず……。メルカリでまとめて出てたから買っちゃった。
ロジック派というからには文章は下手くそでキャラクターは平板みたいな偏見があったがぜんぜんそんなことはなくふつうに読みやすいし面白い。一種の視線の密室を破ってどうトイレに侵入したのか、なぜ犯人は像じゃなくてその台座を凶器に選んだのか。うーんシンプルだ。
いろんな登場人物の視点から互いの愛憎を織り交ぜながら描かれてかなりクリスチアナ・ブランドっぽい。ミステリにおける内的焦点化の問題とかにも言及されてる。でもお互いをかばいあって偽証したり推理合戦になったりしなかったから……ブランドじゃないかも。
真相は地味だし動機は薄味だがとにかく検討の手堅さがウリだが、意外にも物証から消去法が生えてきたりするというより、状況を上手くもっとも説明できる最節約的な仮説方面で推理してたりする。ほ~んそういうかんじなんすね。
この時代だとまだ駅にもマンションにも監視カメラとかなかったのかな。そうかも……。にしても、松原はブロンズ像を返そうとしたときに台座がなかったことには気付いているはずで、ということはじぶんが像を取った後に誰かが台座を取って和泉を殺したということにもすぐ気付くはずであって、そんな松原がなぜ池上のようなもっとも怪しい人物を家に招き上げたのかはかなり疑問が残る。第二の事件は全体的に切れ味が悪い。
あとどうでもいいことながら地の文で(物語世界外的な)語り手が焦点化されてる人物の名前を主語として出すとき、男は苗字なのに女は名前なの、こんだけ性差別性差別いって気にしてるわりにそこはそうなんだと思った。

6/26

石川博品『ヴァンパイア・サマータイム』(ファミ通文庫)

おもしろかった~。めっちゃおもろいやん。博品でいちばん好きかも。

 いつもは店から駅まで行くのだが、今日はじめて反対方向にふたりで歩く。何だか不思議な感じだった。中学の数学でマイナスの数が初登場したときのような感覚だ。

 二の腕とちがっててのひらはでこぼこで硬くて、触れあっていてもすきまが生じた。そこに閉じこめられた空気がふたりの温度に温もっていくのをヨリマサは遠くに感じていた。

うーん、ノーベル文学賞だ……。ていうかけざやかなりとかいう形容詞枕草子以来千年ぶりに聞いたぜ。
最初二話がミステリ仕立てでそういうかんじなの?と思ったらそっから全力でラブコメになるのなんなんだ。博品はほんとに自由だな。マジLOVEモード入ってから影宮さんの霊圧が消えるのだけちょっと残念だった。
ヨリマサは夜だからなんか勝手にロマンチックでエッチな気分になってるが吸血鬼にとっては昼だしなとか夏休みだから開放的な気分になってるけどかれらにとっては冬休みみたいなもんだしなとかそういう存在しないクオリア逆転恋愛あるあるがとくに気取った感じもなくぽんぽん出てくるのがみょうに面白い。血が酒やたばこのように扱われていて、のちには行為を上書きするほどの本能のように扱われるようになると一種の貞操観念逆転世界みたいなふんいきも出てくる。なに喰ったらこういうもんが出力されるのかよくわからん小説だ。でも爆乳ヴァンパイア女子高生と保健室のベッドで添い寝してシュルツ式自律訓練法をレクチャーしてもらうところはさすがに博品も音声作品の聴きすぎで頭おかしくなったのかと思った。

6/26

中島義道『時間と死』(ちくま学芸文庫)

あんま……よくわかんなかった。

6/27

櫻田智也『サーチライトと誘蛾灯』(創元推理文庫)

みんな六色の蛹褒めてて置いてけぼりくらってるから読むぜ。とぼけたユーモアとかいってどんなかんじやねんと思ってたらダジャレと聞き間違いと天丼がダラダラ続いてぜんぜん作為のウケ狙いでは……と思ってしまった。あんまりユーモアそのものが面白いってかんじではない。
why も who もまったくなく、伏線の張り方と what 一本槍のシンプルな構成で、そこに犯人ではない登場人物の「あんなことしなければ/ああしていなければこんな事件は起きなかったかもしれないのに」という後悔が混じるというパターンが確立されている。前半ふたつは軽めの印象だったがだんだん重くなってくる。「ナナフシの夜」がナナフシというモチーフを最大限活かしててよかった。泣かせはやらんのかと思ったら「家事と標本」は直球で泣かせに来た。長岡弘樹の人情路線みたいなかんじでよい。収録作でもっともよいのはこれでしょうな。なんかふとおもってしまったが、もしかしてわかりづらいトリックとかなにいってんのかわかんないロジックとか区別付かない登場人物からフーダニットするとかよりぱっと意外な真相が出てきて感傷的なオチがさっと付くほうが読みやすいし……ウケるのか? あと櫻田も氷川と一緒で女性の登場人物だけ地の文で下の名前で呼ばれるルールになっていて、なんかそういうお作法が書いてある小説指南書でもあるんか?と思った。

6/27

中村智紀『埼玉県神統系譜』(ガガガ文庫)

地の文のギャグはたまにンフッてなるけどさすがに饒舌すぎるから自信のあるネタだけにしたらよかった。井伏鱒二が唐突に出てくるのとかいかにも授業で扱った題材がなんでも冗談のネタになる高校生の生態っぽくておもろい。ラノベ主人公ってこういうのでいいんだよな。
出てくるキャラたちはそれなりにキャラが立ってるがみんなどういうふうにストーリー上役割を与えられててとかないしそもそもストーリー自体が起伏に富んでたり大向こうを唸らせるようなところがあるわけでもないのに軽薄な文体とものの見方だけでこのページ数を読ませ切るのはお見事だ。花火は真っ暗じゃないと美しくないし、闇と烏の区別がつかなくなるまでぼんやり屋台でなんか買って食ったりして時間を潰すから美しいのだな。博品のファンはこういうのも好きなんじゃないか? 起承転結なんかに頼ってるうちは作家は二流なのだ。登美彦にも似ているが登美彦はけっきょく文体よりも京都とうっすらとしたキモい性欲に頼ってるので格下だ。作者はこれを出したっきり沈黙しているがこういう書き方ができる人間ならなにを書いても面白いだろうからなんでもいいので出してほしいな。

6/27

村崎友『校庭には誰もいない』(角川文庫)

じつは風の歌、星の口笛しか読んだことない。読んだの十数年前だけど……。あれもけっこう剛腕でおもしろかった。いまだにトリック(?)覚えてます。いや、あれを忘れるのは不可能か……。
部員二人の合唱部で昼行燈な先輩のお世話をしながら日常の謎、いいねえ~。もう一生こういうのだけ読んで生きていきたいよな。合唱コンでちょっと男子~描写をまじめにやっちゃうのも嬉しい。わかる……おいお前らもうちょっとまじめにやろうぜっていってくれる男子がひとりいるんだよな……。
日常の謎に先輩がしょうもない解決を付けて後半でぜんぶべつの解決が新たに生えてくるというちょっと面白い構成。なんか陰キャ文学(ミステリとかラノベのことです)に出てくる野球部員ってオタクくんに優しいよな。サッカー部員とかバスケ部員はだいたいバカでいじめっ子の陽キャとして描写されるのに……。
部室を焼いた理由がわかるとこでちょっとオッ……ってなった。DVD を割った理由もなかなかおもろいロジックだ。地味な見た目に反してなかなか手が込んでて面白い。

6/28

櫻田智也『蝉かえる』(創元推理文庫)

だんだん事件の構図がどれも複雑になってきた。8 L のケースでゲーミング PC 作ってみましたみたいなかんじでうぉっ……すげっ……とはなるもののなんかうぉっすげ……以上のことが思いつかないところがちょっとある。虫ネタも前巻ではミステリというより物語への味付けってかんじだったが虫ネタがミステリのネタにもなるように。あたしはどっちも嫌いじゃない*19。わりと凝ったことをやっておきながら飄々と落とすみたいな作風だと前巻の前半くらいまでは思っていたがだんだんクソデカ感情弱者への目線ラスト一行あなたの世界は反転する系の作風になっていってる気がする。「サブサハラの蠅」とかはこのネタを思いついたらふつうの作家は長篇にしてしまうだろうなぁというところをギチッ……と短篇にしているのがすごい。

6/29

天祢涼『Ghost ぼくの初恋が消えるまで』(星海社 FICTIONS)

幽霊がいて犯人の顔とかみてる状態からミステリをやる変格なかんじ。みっつめの「16 歳と 16 歳」がけっこう面白い。幽霊になった年上お姉ちゃんヒロインといずれ同い年になり年齢を追い越し、消えてしまうという流れはかんぜんにエロゲーのやりすぎだ。ヒロイン消滅ものてそんなバリエーションとかないじゃんどうやって面白くすんだろうねとか思っちゃうけどちゃんと面白いので偉い。

*1:ロバート・N. ベラーの用語 "Civil religion in America" を著者がいいかえたもの。

*2:精神障害を原因の分析はさておき当該障害の呈する症状を記述することで分析、分類する手法。

*3:もちろんプライバシーには配慮されている

*4:著者一流のユーモアをはさみながらではあるが。

*5:縄と滑車。

*6:僧兵が長刀(=刀でないもの)を振るうというのは江戸時代に武士が作ったイメージであってじっさいには弓だのなんだのいろいろ使っていたみたいだが。

*7:紅茶を琥珀色と表現するのも俺はおかしいと思っているが……。

*8:柳瀬さんシリーズと呼ぶ人もいれば市立高校シリーズと呼ぶ人もいる。伊神さんシリーズと呼んでいる人はみたことがない。

*9:たとえば(初期の)米澤穂信だと時間/空間的な伝送経路上でロストした(=古典になった)情報を再構成するパターンが多い(さいきんのは冴えないアンジャッシュみたいなパターンも多いが……)。謎の作り方ひとつとってもいろいろあるもんですな。

*10:これを東京創元社文法と呼ぶ。

*11:理由あって~の動機(とその末路)とか最高じゃないですか?

*12:動作動詞では進行と解される。

*13:心までエーデルバルド長官になっちゃうとこ面白すぎるだろ。

*14:オキシタケヒコの短編で、『波の手紙が響くとき』に入ってる。傑作。

*15:傘が〇〇〇〇なのはすぐわかったがラジオ……?で思考が止まってしまった。

*16:まるで初野晴みたいだ。

*17:じっさい作中のシーンでは出会った直後にいっしょに料理するために台所に行くからこういう話の流れにはならないのだが、もののたとえだ、もののたとえ。

*18:この歳にもなって!?

*19:が、虫ネタがミステリに絡まないと法医昆虫学探偵みたいなやつを期待したのに~とかいう読者が出てくるし虫ネタがミステリに絡むと知識がないと解けないミステリは嫌いですとかいう読者が出てくるんだよな。世知辛い世の中だ。